2005年3月26日(土)朝から土砂降り「後半」
Arca ---San Anton ---Amenal ---San Paio ---Labacolla ---San Marcos ---San Lorenzo ---Santiago de Compostela 20.1km
「前半」より続く。
「自然の中を歩きながら、自らの内面と語り合う時間」が、私にとっての巡礼だったと思う。 黙想会の静かな修道院の中で、祈りながら過ごす1週間も素晴らしい。 だが落ち着きのない私は、歩きながら、前に進みながら祈ることが、性に合っていたようだ。 こう着状態に陥ることなく、周囲の自然と同様に私の内面も思いも、常に変化を続けた。 一人ぼっちで歩く状態とは、そうした自分の内面の変化を、客観的に見つめる眼が自ずと開かれているようだった。
サンチャゴにたどり着いたから、どうなるのではない。 サンチャゴを目指して歩くその中で、自分自身が何かしらの答え、方向性を見出そうとする。 しかしながら、保証はどこにもない。 必ず「答え」を得るとか、自分の中に「劇的な変化」が起きるといった、保証はないのだ。 幸運であれば、恵みとして与えられる、といった類のものかと思う。 私達が持つ「自分自身を見つめなおしたい」という、欲求。 それが「祈り」に通じるものなのかもしれない。 これがたいそう難しい。 この「神様と私だけ」の時間と空間を歩く巡礼が、私にとっての素晴らしい祈りであったことは、疑う余地がない。
この「長い祈りの旅」のゴールには、壮麗なサンチャゴ大聖堂と聖ヤコブ像が待っている。 その存在の持つ威容さ、深遠さ、豪華さ。 全てを表現する、言葉を私は見つけることができない。 その場に身を置いた時、誰の心も感激と畏怖の思いで満たされる。 建築や芸術が人々の心に与える影響力を思うとき、この「巡礼地」の大聖堂の豪華絢爛は意味を持つ。 少なくとも、私自身には、意味を持った。
「教会があまり豪華なのは、嫌だな」と、以前の私は思っていた。 ところがこの体験から、「大聖堂の在りよう」の意味するところが、ほんの少しわかったような気がした。 たどり着いた先に、貧しい小さな教会がぽつんと置かれていたら、どうだっただろう。 あるいはウルトラ・モダンの鉄骨とコンクリートの教会だったら、どうだったろうか。 私の中ではまだ、区切りがつかなかったのではないかと思う。 あの言葉を失う圧倒的な大聖堂の前に立ち、呆然とする私は、はっきりとこの巡礼が終わったことを感じた。 あの場に立って、大聖堂を見上げたとき、喜びや悲しみといった感情を上回る、圧倒的な何かに包まれ、「この巡礼は、終わったのだ」と納得させられたのだ。
さて、最後の事務処理が残っている。 「巡礼証明書」を貰うのだ。 少し離れた事務所へ行くと、たくさんの巡礼者達が集まって書類を書いている。 2人の若者が話し掛けてきた。 「君は英語を話すの?どこから来たの? 僕たちはポルトガルから来たけど、アメリカ人。」 後ろ姿に向かって、つぶやく。 「あの2人って、空気が神学生かブラザーって感じだなぁ。」
申請書類の質問項目は、いろいろある。 巡礼の目的は各人それぞれだ。私は「宗教と運動」という欄にチェックする。 この書類と、今まで泊ったアルベルゲで押し続けたスタンプ表を提出し、内容が確認されてから「証明書」が出されるというシステム。
左:各地のスタンプが押されたクレデンシャル 右:巡礼証明書
私の知り合いはかつて、フランスからずっと一人で歩き続けた挙げ句、「カトリックじゃない」という理由で、この「巡礼証明書」を出してもらえなかった。 しかし、一緒に居たプロテスタントのデンマーク人には、証明書が出されたのだ。 彼は激怒してスペインの新聞に投稿し、掲載されたそうだが、その後はどうなっているのだろう。 カトリックの私達全員には、「巡礼証明書」が出された。 巡礼完了だ。 おめでとう! もう急いで歩き続ける必要もない。 道中助けてくれた杖に感謝をして、事務所の玄関脇に置いた。 何本もの仕事を終えた杖達が、そこで一緒に憩っていた。
マリエラは、明日の朝のフライトでハーグへ戻る。 「今晩はもう、豪華なホテルに泊る!」ことになり、互いの健闘を称え合い別れる。 旅の友との別れは寂しかった。 INAHOさんと私は、最後まで「アルベルゲの旅」を続けることにする。 サンチャゴのアルベルゲは、Seminario Menor。 名前からわかるとおり、かつての大きな神学校の建物だ。 威厳に満ちた建物が、どーん!と丘の上に建っている。 たくさんのベッドが通路を挟んで向かい合い、部屋一杯に並んでいる。 カーテンのない「寄宿」だ。荷物を下ろし、「普通に汚い」シャワーに入り、濡れが少ない服装に着替える。 靴下はもう救いようがないほど濡れている。 とてもはく気になれない。 ふやけた裸足で、ドブの匂いがする靴を履く。
お財布とパスポートだけ持って、セントロへ。 杖がないので丘を下るのは、骨が折れる。 その上、私達は傘を持っていない。 雨と教会と大学の美しい町、サンティアゴ・デ・コンポステーラ。 雨はいつまでも降り止まない。
多くの教会を通り抜け、たどり着いたレストランで祝杯をあげる。 パエージャ、チキン、ポテト、美味しいパンとワイン。 そしてサンチャゴ名物の「タルタ・デ・サンティアゴ」というアーモンドで作ったデザート。 タルタの上には、聖ヤコブの十字架がお砂糖で描かれている。 見るもの、食すもの、全てが素晴らしく感じる。
暗くなるまでまだ時間はあったが、虚脱状態の私達は再び雨の中を濡れながら帰る。今日はゆっくりして、早く寝よう。 1つの教会に差し掛かった時、見たことがある顔とすれ違った。 お互い振り返って「おー!!」 フランシスコ会に心惹かれるイタリア男、フェデリコだった。 今晩のバスでマドリッドに戻り、そこから飛行機でジェノバへ帰るそうだ。 お互いが無事にサンチャゴに到着したことを祝い、一緒に写真を撮る。
雨の中をダラダラと丘を登って、アルベルゲに帰還。 ベッドの上で座禅を組んでるフランス人の居る部屋へ戻る。 雨空が夕焼けに染まりゆくサンチャゴ市街が、ベッド脇の窓から一望できる。 遠くからは、太鼓とラッパで行進する音が、かすかに聞こえてきた。 よく目を凝らすと、市内の通りを、強い1つの光とそれを取り巻く群集が行進している。 あの光の中を、イエズス様のご像が進んでいるのだろう。 目の前でご像を見られなかったのは残念だが、サンチャゴ大聖堂のシルエットを戴く夕暮れの中を、進む光となって私の中までいらっしゃったイエズス様は、言葉もないくらい美しかった。
アルベルゲ:5ユーロ