2005年3月27日(日)曇り Santiago de Compostela


熟睡後の、幸せな、幸せな目覚め。曇り空だが、雨は降っていない。  今日はサンチャゴ大聖堂の、ご復活のごミサへ行く。  問題は靴下だ。   全く、乾いていない。   さっき洗ったばかりという感じ。   一体この町の人たちは、どうやって洗濯物を乾かしているんだろう?  我慢して、冷たく重い靴下を履き、我慢してドブ臭い靴を履く。   いやな気分は最初だけで、5分もすれば慣れてしまう。
昨日はゆっくり内部を見られなかったし、聖ヤコブにご挨拶もしていないので早めに出掛ける。   聖堂に着いた時は「地元民のご復活ミサ」の最中だった。  とにかく、大切な「ご挨拶」をしなければならない。
既に長蛇の列が出来ている。  とにかく、並ぶ。   聖体拝領の音楽は、バッハの教会カンタータ147番「主よ、人の望みの喜びよ」。   私が小学生の時、恋するくらい好きになり、楽譜を買った曲だ。   あと5人で、聖ヤコブ像の後ろに入れる。   音楽が「ハレルヤ・コーラス」に変わった。   学校で、毎年クリスマス前に練習した曲だ。  さすがにサンチャゴ大聖堂の聖歌隊は素晴らしい。  明るく力強いコーラスが、胸に響く。
次が私の番だ。 ご像の後ろに入り込むべく、階段を上る。  “Gosh….”   そこにあったのは、黄金の世界だった。   目に入るもの全てが黄金で、大きな宝石もあちこちに散りばめられている。   こんなキンキラキンの中に入るのは、我が人生で初めてのことだ。   ハレルヤ・コーラスが、正面から数え切れない音の波を引き連れて、迫ってくる。   この状況の中に、一瞬にして捕らえられた私の両の目から、涙がボロボロとこぼれた。  そしてしゃくりあげて泣きながら、聖ヤコブの黄金の背中に抱き着いて、「巡礼の目的」を伝えた。   背後には「いたずらしてはイケマセン」と、見張りの神父様がお座りだ。   だが構わず私は泣いていた。   こんな巡礼者をたくさん見ていらっしゃるのだろう、彼はにこにこしていた。   そして順番通り、地下にある銀の棺にお祈りをした。   この時はもう冷静になって、聖ヤコブはこんなにチビだったのか?と思った。

 上:正面中央に鎮座する黄金のサンティアゴ像、巡礼者は像の背後に回り祈る。 

 上:サンティアゴの銀の棺
「地元民のミサ」が終わり、「巡礼者のミサ」の人が入れ替わり始めた。  INAHOさんは大きなお香の「ボタフメイロ」を見たい、ということで祭壇横に座った。   私は正面に座ろうと思っていると、昨日の「ホーリー顔の2人」がやって来た。  昨日のことを覚えていて、話しかけてくれたので、一緒に座ることに。  彼らはとても親切で、英語の「今日の典礼ー英語版」まで見せてくれる。
「大学生?」
「神学校で勉強しているんだ。神父になるんだ。」
やっぱねぇ。。。。

     巡礼者のための復活祭ミサ
ごミサの中で、巡礼者の名前が呼ばれる。  この日は「どこから何国人、何名」という具合に呼ばれた。  「パンプローナから日本人2名!」と言われたはずなのだが、うっかり者の私達は、聞き逃した。  残念。  「マジョルカ島1名」と言われた途端、すぐ後ろの席でおじさんの泣き声が上がった。  振り返ると、オセブレイロ峠で一休みしていた時に「大丈夫?」と声をかけてくれたおじさんだ。  泣きながら「私です!私です!」と言って、オイオイ泣いている。  そう。  皆、本当に心から嬉しい。  私も彼の素直さにつられて、涙が再び込み上げてきた。  今日この場所で、ご聖体を頂くという事実が、私にとっての「奇跡」のように感じた。
この旅は同じ目的地を目指す、数知れない仲間達との共同作業だったと思う。  いつも私は、私自身と語り合いながら歩き、私を取り巻く私以外の外界と交流して在った。  途中で自分を見失うことなく、心落ち着けて歩くことができたのは、思いがけない方法で助け、そして「私という定点」に確実に引き戻して下さる神様が、片時も離れることなく私の中に居て下さったからだ。  イエズス様が諭された、そのとおりに旅人に笑顔で接し助けて下さったスペインの人々。  そして迎え抱いてくれた、大いなるスペインの自然に、心からの友情と感謝をおくりたい。(了)

追記:3年たった今も、この巡礼の機会を与えて下さったINAHOさんとマリエラには、「仲間」としての感謝と思い出が満ちています。
グラシアス・ポル・トード!